京成3000形 初代  京成 赤電 

京成初代3000形 (赤電)



更新後・塗装変更(ファイアーオレンジ)後の3005

京成船橋  1984年4月3日

撮影時は、成田空港方から 3005-3006-3013-3014-3007-3008といった6両固定編成を組んでいた




概要



3000形は1958年(昭和33年)5月に、都営地下鉄1号線(現浅草線)乗入対応車として、3001〜3014の14両新製。
以後、京成の完全新製通勤形車両は、近年増備中の新3000形を含め全て都営地下鉄浅草線乗入対応車となった。

全車運転台付電動車で、各台車にM台車をもつ2両固定のMMユニットでデビューし、3001〜3002・3003〜3004と続番で奇数車は成田寄・偶数車は上野寄が先頭車になった。偶数車にパンタグラフ搭載、奇数号車にCPとMGを配した。

初のカルダン車としてデビューした750・2250形同様に、3000形も汽車会社製の台車を履く車両は、TDカルダンで東洋製主電動機搭載、住友金属製の台車を履く車両は、WNカルダンで三菱製主電動機搭載。台車・主電動機は2社発注とし、両者を約半々で採用した。このパターンは1972年製の3300形まで続いた。尚、京成通勤形車両の主電動機で、東洋・三菱の2社発注は近年増備中の新3000形でも継続している。

ブレーキ装置は、750形・2250形で実績のある電気ブレーキを使用した。

同形式の特徴としては、乗入先規格としてA-A基準の不燃化対策をとり初の18m3扉車となった。設備面では広幅貫通路を採用、室内換気対策としてファンデリアを採用した事により2段屋根構造にし、モニター通風器を採用する等、当時の鉄道車両としてはトップレベルだった。

デビュー時は在来車同様に青電塗装・1375mm台車でデビューしたが、翌1959年秋より、1435mm台車に変更。塗装も1960年〜1961年に3050形以降のモーンアイボリー+ファイアーオレンジベースにステンレス枠で縁取ったミスティラベンダー帯の赤電ツートン色に変更。以後の鋼製車・抵抗制御車は3300形まで同塗装配置となった。

3300形までは、塗装以外に車両性能や車体構造等も3000形をベースにしており、マイナーチェンジの度に3050形、3100形、3150形、3200形、3300形と新たな形式を与え、総称して '赤電 'と呼ばれる。

3000形のメーカーは、14両全て日本車輌。








更新前の主な改造等


1970年代前半に、以下の小改造を行った。

・モニター屋根を廃しベンチレーターを設置。

・前面窓上の運行表示幕を乗務員窓に移設。

・3100形以降の車両同様に前面急行灯を尾灯と赤・黄切替式兼用タイプとすることにより、窓下左右に角形のものを配置。

・側面アルミ製扉の窓支持方式を黒Hゴムから太金属支持方式に変更(内部は塗装仕上のまま)。






更新


1977年6月〜1978年11月に更新を行った。

その際、3001〜3008は半数の先頭車の中間化(3002・3003・3006・3007が対象)を行い車号順に4両化を行った。

1978年2月〜7月に出場した3009〜3014は全て中間電動車化を行い、基本4両の中間に挟み6両固定編成を組成することにした。
京成の6両固定編成は3000形更新車が初で、1978年当時増備中だった3500形も4両基本編成のみ新製していたため貴重な存在だった。新車で6両固定編成が誕生したのは4年後の3600形が初。赤電形式更新車の6両固定編成は8年後の1986年以降に更新を行った3200形6M車以降までなかった。

全車2両分割可能とし、ユニット境は狭幅貫通路とし、6両・8両と編成を組める様にした。


外観は、正面前照灯が2灯化上部中央に配置したほか、前面窓の小型化、アンチクライマーの3枚歯大型化等の変化が見られた。1978年9月に更新を行った3005と同年11月に更新を行った3008は、急行灯・尾灯の枠をステンレス製無塗装タイプに変更した。

室内はデコラ・シート・床面を同色新品に交換したほか、中吊広告支を鋼製のものからステンレスタイプに交換等で、大差はなかった。天井等はデコラ貼とはせずに塗装仕上のままにした。

工事は、1976年10月〜1977年4月に施行した後輩の3050形8両(3051〜3054・3063〜3066)の次に行われた。これは、3050形の更新工事を着手した時点で、試験的要素のあった3000形は車齢20年を目処に3500形と代替の計画が浮上した事が理由の一つだった。しかし空港開業に備えAE形を増備するため、当時の代替対象車3500形の新造を見送った。よって3000形を更新し15年目処に延命する事になった。3050形とほぼ同時期に更新を行ったことから、更新後の3000形・3050形は外観・室内共差異はなく、両数の関係から3000形と3050形の混結は常時行い、同一形式かのように扱われた。





更新後の編成は以下となった(◇は先頭車)


←成田空港・千葉中央

◇3001-3002-3003-3004◇

◇3005-3006-3007-3008◇

3009-3010

3011-3012

3013-3014



※ 編成は頻度に変更。3009〜3014は中間電動車ユニットで、3000・3050形の基本4両に挟み使用する事が多かった。












更新後〜1990年5月上旬までの改造・動向・特筆事項等


更新から2〜3年後の、1980年5月〜1981年10月に、ファイアーオレンジベースにモーンアイボリー帯への塗装変更を行った。

1984年〜1986年に側面扉開閉確認灯を2灯化、カプセル形一体ケース化した。それとほぼ近時期にアルミ製塗装仕上の室内乗務員扉・貫通扉窓支持を黒Hゴムから太金属支持押さえに変更した。

1988年〜1989年に室内の吊り革を扉前・枕木方向に増設した。


前述の通り、更新により同スタイルとなった3050形と混結6両編成が常時存在した。特に3009〜3014の中間電動車化ユニット車は、2両ユ二 ット3組だった為、3000形のみの6両固定編成2本と、3050形混結6両固定編成1本で組成される事が多かった。

しかし、1986年秋以降から3001〜3004編成・3005〜3008編成4両2本は4両で使用される事が多くなり、3009〜3014の2両3ユニットは3050形基本4両編成3本に挟まれ、この間以下の6両固定編成で定着化しつつあった(◇は先頭車)。尚、全般・重要部検査入場時等は編成替えを行った。


・1986年秋〜1989年秋

←成田


◇3051-3052-3009-3010-3053-3054◇

◇3067-3068-3011-3012-3069-3070◇

◇3071-3072-3013-3014-3073-3074◇




・1989年秋以降

←成田


◇3051-3052-3009-3010-3053-3054◇

◇3055-3056-3011-3012-3057-3058◇

◇3071-3072-3013-3014-3073-3074◇



1986年12月の一時であるが、3067〜3070が全般検査入場していた為、空気バネ台車の3100形4両基本編成3129〜3132の中間に3000形中間電動車3011〜3012を挟んだ6両固定編成で使用し注目を浴びた。





更新後の3004

東中山   1988年7月9日

3004は1977年10月に更新、1981年5月にファイアーオレンジへ塗装変更を施し写真の姿になった。






更新後の3003車内

1988年10月27日

赤電形式の3000形〜3300形の非冷房時代は、天井のファンデリアが特徴だった。
3000形は全車、冷房化せずに廃車になった。










千葉線で4両運用に就いた3005〜3008編成

千葉中央   1990年3月23日

3005は1978年9月に更新、1980年5月にファイアーオレンジへの塗装変更を施し、写真の姿になった。


更新直後の3300形クロスシート試作車3313とすれ違った3005

京成津田沼   1990年5月4日





トップナンバーの3001

京成津田沼   1989年7月12日

撮影時、赤電形式は、冷房化のほか行先・種別の電動幕化も進行しており、行先表示が板式だった車両は3000・3050形と冷房化前の3100形のみだった。
間通扉を開け、‘めくりタイプ‘の行先表示板を変えた光景は3000形の消滅により見ることはできなくなった。
写真の3001は、1977年6月に更新、1981年5月にファイアーオレンジへの塗装変更を施し、写真の姿になった。




京成津田沼駅1番線に進入した3001

1990年3月24日









1990年5月中旬以降、翌1991年3月廃車時までの経緯


3050形の冷房化工事の始まった1990年5月中旬〜7月末にかけて、再度3000形のみの6両固定編成を順次組成した。
編成は以下(◇は先頭車)


←成田

◇3001-3002-3013-3014-3003-3004◇ (1990年7月下旬より組成)

◇3005-3006-3009-3010-3007-3008◇ (1990年5月中旬より組成)


1990年7月末時点で3011〜3012は3050形3055〜3058編成の中間に挟まれていたほか、3067〜3070は3050形成田方に先頭車をもった半ユニットの3075〜3076と連結し使用。従って、1990年夏時点で非冷房車は、3000形14両、3050形10両のみとなった。前述の通りそれらのみで6両編成4本を組成し、夏期間は普通運用を主に使用したことから運用も定められた。


1990年11月、3050形冷房化進展により、3001〜3004編成の中間に3011〜3012・3013〜3014の中間2両ユニット2組を挿入した8両固定編成が誕生。非冷房車としては初の8両固定編成だった。
さらに翌1991年1月、3050形3075〜3076を6両固定編成の3005〜3008編成(中間に3009〜3010ユニットを挾んだ編成)の成田方に連結した8両1本が誕生した。

従って1991年1月以降、非冷房車の営業車は以下の8両2本にまとめられ、3500形8両等に混じり優等運用専用に使用した(◇は先頭車)

←成田

◇3001-3002-3011ー3012ー3013-3014-3003-3004◇ 

◇3075-3076-◇3005-3006-3009-3010-3007-3008◇ 






8両固定編成で特急運用に就いた3004以下8両

船橋競馬場   1991年3月1日








廃車

3700形のデビューに伴い、1991年3月末日をもって3000形全車3001〜3014と冷房化工事の対象外となった3050形3075〜3076は廃車になり、京成車両の冷房化率は100%達成した。また、以上16両の廃車により方向幕非搭載車も消滅し、京成名物として永らく使用し続けてきた行先表示のめくり板も見納めとなった。

京成の赤電形式で、非冷房車のまま廃車になったの以上の16両のみだった。






廃車後の経緯



廃車後、3009〜3014・3075〜3076は即解体した。3001〜3008は、東成田駅(旧成田空港駅)の旧スカイライナーホームに約1年留置したが、1992年春以降、3004を除き解体した。

3004は、保存対象車としてしばらくファイアーオレンジ塗装のまま宗吾車両基地内に留置した。1996年夏から秋にかけて復元工事を行い、前照灯1灯化・2段屋根化等外観変化を行った上、赤電ツートンカラー(モーンアイボリーとファイアーオレンジにミスティラベンダー帯)に変更。
翌1997年2月から宗吾工場内に設置した展示ブースで保存している。




廃車後、東成田駅に約1年間留置した3008

1992年3月13日












宗吾車両基地内で保存中の3004

正面ライトの1灯化、社ロゴ ‘KDK‘ 表記の復活等の復元を行った。

2007年6月24日(2枚共に)







車両データ




車歴表

車号 製造 メーカー 更新 塗装変更 廃車 備考
3001〜3002 1958年5月 日本車輌 1977年 6月 1981年 5月 1991年 3月  
3003〜3004 1977年10月 3004のみ保存車として1996年に復元
3005〜3006 1978年 9月 1980年 5月  
3007〜3008 1978年11月 1980年 9月  
3009〜3010 1978年 2月 1981年10月  
3011〜3012 1978年 7月 1980年 5月  
3013〜3014 1978年 4月 1981年10月  


※ 塗装変更: ファイアーオレンジベースにモーンアイボリー帯












主要機器 (以下は廃車時のものを表記)




・主電動機 ・ 駆動装置 ・ 台車 

制御方式 主電動機 駆動装置 歯車比 台車 搭載車両
抵抗制御 TDK-810/2D
(75kw)
TDカルダン 78:13 KS-114 3001〜3008
抵抗制御 MB-3028-D
(75kw)
WNカルダン
97:16 FS-318 3009〜3014




空気圧縮機・ 補助電源装置 (廃車時)

空気圧縮機 (CP) 補助電源装置 搭載車両
C-1000
(1180 l/min)
CLG-319E
(5.5kVA)
3001・3003・3005・3007・3009・3011・3013


※1 CPは、新製時は、700l/minの A-2 ( 別名 3YC ) を搭載していたが、更新後の1980年代半ばに全車 C-1000に交換。

※2 C-1000のCPは京成社内名で別名 A-3-K と呼んだ。

※ CPは当時はA-2だったが、1985年前後にC-1000に交換。