| 京成2100形・210形・2000形 |
| 製造初年から、全廃時までの経緯等を中心に解説します。。 |
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| 概要 |
京成の1960年代〜1970年代鋼製車は、都営地下鉄浅草線非乗入対応、車長17m以下の車両は緑の濃淡に塗られていた。3000番台をもつ都営浅草線乗入対応の暖色系ツートンカラーをもつ赤電に対し、非乗入車、車長17m以下の車両は '青電'と呼ばれた。
ここでは、最後の青電形式として1987年(昭和62年)〜1988年(昭和63年)の廃車時まで活躍した制御車のクハ2100形2101〜2109、クハ2000形2008、および中間電動車のモハ210形210〜219の計20両を紹介する。
これらは、、1967年(昭和42年)以降、高性能車化・車体新製を伴った210形の更新により、2100形・2000形Tc車、210形M車とした以下の4両固定編成5本に組み替え使用した(◇は先頭車)。編成名は上野方先頭車で、2102編成・2104編成と称した。
←京成成田・京成千葉
◇2101-212-211-2102◇
◇2103-214-213-2104◇
◇2105-216-215-2106◇
◇2107-218-217-2108◇
◇2109-210-219-2008◇
その後、1970年(昭和45年)〜1971年(昭和46年)にTc車の2100形2101〜2109および2000形2008の更新を行った。
尚、更新後も、3000番台の車号をもつ赤電形式や後にデビューしたステンレス車3500形より加速性は劣り、発電ブレーキをもたなかったため、青電形式釣掛車200形・500形等と同じく、青電形式用の特別運用枠で使用した。
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青電運用枠で普通運用で使用した2104 普通 大和田行 千住大橋付近 1980年6月15日 |
1980年代に入り、3000番台の赤電形式(初代3000形・初代3050形・3100形・3150形・3200形・ 3300形)と共にファイアーオレンジベースにモーンアイボリー帯の新赤電塗装に変更し、4両普通限定特別運用枠で数年の余生を送った。
これらを総じて、‘210系‘と呼ばれることもあった。
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余命4年となった頃の2100形2108 京成船橋 1984年4月3日 赤電同様にファイアーオレンジベースにモーンアイボリー帯の新赤電塗装に変更した1980年代の姿。 |
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新赤電塗装で活躍した晩年の2101 京成船橋 1987年6月3日 2101は、1981年7月に写真のファイアーオレンジベース色(新赤電塗装)に変更した。 |
3形式車両の詳細
これら3形式20両は、210形210〜219の更新が終了した1968年(昭和43年)以降、編成も固定化し同形式扱いとなった。しかし、2100形の更新が完了する1971年までは、3形式共経緯が異なり以下で形式別に解説する。
210形
1932年(昭和7年)11月に200形の増備車として製造し、車体両端に運転台をもつ釣掛駆動車だった。
メーカーは211〜219が汽車会社、210が日本車輌。
210のみ1935年(昭和10年)製の500形511と車両番号を交換した戦災復旧車で、1961年(昭和36年)に全金化する等、経緯は異なった。
210〜219は1967年(昭和42年)1月〜1967年12月に完全中間電動車として更新された。台枠を再用し17m車体を新製、新性能化(カルダン化)、台車も金属バネのミンデンドイツ仕様のものを新製する等大掛かりな更新が行われた。1M方式で、2100形2101〜2109・2000形2008のTc車でユニットを組み、Tc-M、もしくはM-Tcユニットを組む形にした。補助電源装置のMGおよび空気圧縮機は、Tc車の2100形・2000形搭載した。
更新後、車体はリベットなしの普通鋼で、近時期に製造した3150形や3200形に極力準じた仕様になった。客室の窓配置は扉間4か所の片引き扉車で、側面にKeiseiロゴを設置、側客用扉はアルミ製窓支持黒Hゴムタイプとし、内外共に塗装した。ベンチレーターは左右2列タイプとした。
室内は、デコラは貼らず壁面はベージュ、天井面は白に塗装、網棚より上は天井同様にホワイト塗装仕上とした。座席の袖仕切は3200形同様にU字タイプのパイプ式になった。送風機は、三菱電機製の首振扇風機を設置し、背面に通気孔を設けた他、車端部に円形の通気孔を設けた。
足回りはほぼ完全新製となり、駆動装置は、TDカルダン・WNカルダンの2種併用とした。主電動機は110kwとし、赤電形式等のカルダン車同様に、TDカルダン駆動の車両は東洋製の主電動機を、WNカルダン駆動の車両は三菱製の主電動機を搭載した。台車は金属バネのミンデンドイツ台車を履いた。(以下参照)。両端先頭車の2100形・2000形とユニットを組み1M方式とした。
210形改造過渡期に、半ユニットの2100形・210形のTc-M、もしくはM-Tcユニットが完成した際、半ユニット完成までの間、青電形式平行カルダン車の750形・2250形のTc-M、もしくはM-Tcユニットと2+2で混結を行った実績もあった。
2000形・2100形と組んだ2M2T編成での起動加速度は2.0km/h/sとした。制御装置は700系と同様の多段式(発電ブレーキ無し)となった。この事から広義の700系に含まれると考えられた。ブレーキ装置は自動空気ブレーキのままで存置された。ブレーキシューはレジン化した。
詳細形式名は‘モハ210形‘とした。
カルダン化により不要となった釣掛駆動・主電動機の一部は、新京成で車体自社発注新製した250形や京成事業用車モニ10形に流用し、前者は1990年(平成2年)7月まで、後者の一部は1999年(平成11年)12月まで使用した。
1960年代後半、関東大手私鉄他社でも、東武3000系列や小田急4000形等、釣掛車で車体新製を伴う大規模な更新が行われてたが、カルダン化が行われた例は珍しかった。
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更新後の210形211車内 1988年4月14日 1967年新製の車体であるため、シート袖仕切形状や配色等は、3000番台の車号をもった赤電形式と差異はなかったが、三菱製首振扇風機や塗装壁面等が210形の個性をもっていた。 撮影時、211は既に廃車となっていたが、1990年まで解体せず保留となった。 同車は、さよなら運転を行った編成でもあり、外観は往年の青電塗装に復刻していた。 |
2100形
2100形は、戦後本格的な新車として1952年(昭和27年)7月に2101〜2106、1953年(昭和28年)5月に2107〜2111といった順で落成。‘青電色‘と呼ばれた緑の濃淡塗装でデビューしたのもこの車両が最初で、後に在来車もこの塗装で定着した。
メーカーは、ここで紹介する2101〜2109のうち2102・2104・2106が汽車会社、他は帝国車輛工だった。
車体は片運転台制御車(Tc車)で、半鋼製ながらノーシル・ノーヘッダー、張り上げ屋根、鋼板プレスドア、前面貫通幌の設置、通路幅700mm、角型グローブ室内灯搭載等、後の車両にも引き継がれた点が多かった。寸法も若干拡大された(16.5×2.7m)。台車は汽車製造製KS-104で、制御車ながらパンタグラフを装備(後に撤去)し、空気圧縮機(DH-25)を搭載していた。マスコンは当初は併結対象の200形に合わせたものだった。1956年に2110・2111は700形と組むためマスコンを交換、上野方から706-2111-2110-703の編成とした。全車、1962年(昭和37年)9月〜1964年(昭和39年)6月に車体が全金属化され、同時に室内照明が蛍光灯に変更され、三菱電機製首振扇風機が設置した。前面窓・戸袋窓がHゴム、その他の窓枠をアルミサッシュ化した。
1967年(昭和42年)以降、2101〜2109は更新・新性能化後の210形の制御車としてマスコンを交換、車両番号順に両端に配置した。それとほぼ同時期に、側面社名ロゴをKDKからKeiseiに変更した。
1970年(昭和45年)末〜1971年(昭和46年)に2101〜2109は前照灯のシールドビーム上部左右2灯化、前面幌の撤去等の更新を施行。正面スタイルは赤電形式の3100形に近くなった。室内についても、壁面はベージュ色デコラ仕上とした。2110・2111は、運転台を撤去され完全中間車となった。尚、2000形2008と編成を組む2109のみ、前面運転台横に5箇所、乗務員室上部に1箇所掴手を配し、特異な車両だった。
詳細形式名は新製時より‘クハ2100形‘とした。
尚、2111は700形とともに1974年(昭和49年)9月に新京成電鉄に譲渡し、1985年(昭和60年)6月に廃車となったほか、2110は譲渡せず1974年9月に廃車となった。
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更新後、青電塗装時代のの2100形2107 京成高砂〜京成小岩 1979年2月 2107は1953年5月新製。撮影時は車齢26年の若さだった。 |
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先頭部の掴手が特徴だった2109 千住大橋 1984年9月7日 |
2000形
1948年(昭和23年)〜1950年(昭和25年)に17m戦災国電の払い下げを受け、復旧した制御車である。2001〜2018が導入され、2001〜2016は1957年(昭和32年)〜1961年(昭和36年)に全金製車体に更新、室内を蛍光灯化、又、1964年(昭和39年)に三菱製首振扇風機を設置した、2017〜18は半鋼製のまま1964年に新京成に譲渡した。
1967年(昭和42年)に2008のみ、新性能化後の210形と編成を組むためマスコンを交換したほか、側面社名ロゴをKDKからKeiseiに変更。1970年(昭和45年)に2100形2101〜2109に先立ち前照灯のシールドビーム2灯化等の更新が行われた。尚、2008は2100形と異なり屋根部はのっぺらぼうでベンチレーターは側面上部押込式としたほか、編成を組んだ2109同様に、前面運転台横に5箇所、乗務員室上部に1箇所掴手を配し、特異な車両だった。
詳細形式名は‘クハ2000形‘とした。
ここで紹介する2008は、1950年(昭和25年)6月に汽車会社で新製した。
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独特な側面ベンチレータをもった2000形2008 津田沼検車区 1980年4月27日 撮影時、2100・210形一部の車両でファイアーオレンジベースの新赤電塗装への変更が始まってた。 |
更新後、1972年以降の動向・改造等
1975年頃に、全車の側客用扉を、アルミ製窓支持方式黒Hゴムのタイプから、アルミ製窓支持押さえ金属タイプの扉に交換した(室内側は壁面同色に塗装)。又、2101〜2109においては、台車をKS104から2250形の廃車発生品であるKS110に変更したほか、2101〜2109と2008においては空気圧縮機を容量710l/minのDH-25から、3100形2次車以降で使用していた容量1180l/min
のC-1000 ( 別名 A-3-K )に交換した。
更新直後は、京成上野〜京成千葉(現千葉中央)間の快速等に使用することもあった。しかし、750系が消滅した1974年(昭和49年)以降、発電ブレーキを装備しない青電形式は、4両特別運用枠に入り使用した(一部急行・特急等優等運用もあった)。成田空港駅(現東成田駅)が開業した1978年(昭和53年)5月21日の改正以降は、青電専用の4両特別運用枠は普通運用限定となり、以後青電形式が優等運用に就いた実績は、ダイヤ乱れ時を含めない。
500形・200形は1980年(昭和55年)3月末に青電塗装のまま全廃となり、青電形式は210系(2100形2101〜2109・210形210〜219・2000形2008)4両編成5本のみとなった。その時点で、京成は関東地方の大手私鉄で最初に一般営業用車両全車の高性能車化・カルダン車化を達成した。
1980年代に入り、京成は塗装コスト削減のため通勤形鋼製車の塗装を統一することになった。
1980年(昭和55年)2月以降、210系(2100形・210形・2000形20両)も、2106編成を皮切に全般・重要部検査時に赤電形式の初代3000形〜3300形と共に、ファイアーオレンジベースにモーンアイボリー帯への塗装変更を順次行った。尚、210系は3000番台の車号をもった赤電形式(初代3000形・初代3050形・3100形・3150形・3200形・ 3300形)とは異なり、帯はカラーフィルムとし、ステンレス製縁取りはなかった。塗装変更開始直後に、青電形式で最後まで釣掛車で残った500形・200形が廃車となり、青電形式一般営業車は210系のみとなった。従って、1981年(昭和56年)10月下旬に2104編成が全般検査出場時に塗装変更したのを最後に210系の塗装変更は完了し、一般営業車の青電塗装は消滅した。尚、
行商専用車として使用した2200形・700形およびアルミ車の1600形3両で組成した2203+1602+704は、1600形1602が1981年(昭和56年)11月に廃車に、残る先頭車700形704と2200形2203の2両が1982年(昭和57年)1月末に廃車となり、京成在籍の青電形式は以上の20両のみになった。それを機に、京成から青電塗装は非営業車も含め消滅し、後のリバイバルカラー編成出現までは皆無となった。
1980年代前半、関東大手私鉄通勤形鋼製車両では、小田急・京急等で新旧問わず塗装統一してる会社がある一方、京王みたいに2010形以前のグリーン車色、5000系・6000系のアイボリーベース塗装車と分けてる会社があった。京成も、1960年代〜1970年代は、3000番台の車号をもつ18m車都営地下鉄浅草線乗入対応鋼製車の赤電形式は、赤電ツートンカラー、17m以下の都営地下鉄浅草線非乗入対応車は青電塗装と分かれてたが、カラーリング統一により、全般・重要部検査時に行う外部塗装作業によるコスト軽減を達成した反面、ファンにとっては物足りない感がした。
ファイアーオレンジベースの赤電色に塗装変更した2100形2101〜2109・210形210〜219・2000形2008の20両は、本線・金町線・千葉線普通に使用した。自動ブレーキで加速性能も、3000番台各形式より劣るため、ラッシュ時に本線使用される機会は少く、4両運用特別枠で運用に就いていた。尚、車両の運用上、稀に4両運用特別枠に赤電形式や3500形の4両編成が使用したこともあった。
軽微な改造としては、1984年(昭和59年)9月〜1985年11月に側面客用扉開閉確認灯が2灯化され、ケースも円形のものから一体化・カプセル形に変更、それと前後する形で室内のアルミ製塗装仕上の乗務員仕切扉窓支持方式が黒Hゴムから金属押さえ金に変更した。これは、赤電形式でも同時期に行った。
1984年(昭和59年)秋に2109のみ側面客用扉をステンレス製のものに交換した。
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晩年、赤電塗装の先頭制御車2100形2105 京成関屋 1987年9月5日 基本的に3000番台の赤電と同色だが、帯にステンレスの縁取りがないのが特徴だった。 |
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さよなら運転時‘の2100形2102車内 1988年3月27日 座席形状や、塗装した壁面が2100形の特徴だった。 |
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普通運用特別枠で使用した2103 町屋〜千住大橋 1984年6月3日 |
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種別表示板に、新駅名となった‘千葉中央‘の行先を表記した2105 千住大橋 1987年5月31日 2105は1980年2月に2100形のトップをきって、赤電色同様のファイアーオレンジに塗装変更した。撮影時は車齢35年だった。‘千葉中央‘ への駅目変更の直後で、方向板は‘千葉中央‘の行先表示板が未設置だった。よって、本来種別表示する板に同行先を縦書きで表示していた。 |
廃車
1987年(昭和62年)9月末日、3600形増備車の代替として2008編成が廃車になった。これをもって、2000形は2100形・210形に先立ち形式消滅となった。
京成在籍車両の廃車は、行商専用車で1982年(昭和57年)1月末に廃車になった704・2203以来5年半振りであり、一般営業車としては1980年(昭和55年)4月に廃車になった500形・200形最終編成以来、7年半振だった。
31988年(昭和63年)1月以降、3600形の増備に伴い残る16両も編成単位で順次廃車となり、1988年3月末に2102編成・2104編成を最後に全廃。2100形・210形は形式消滅になった。
そのうち、2102編成はリバイバルカラー編成として、往年の青電塗装に戻した。1988年(昭和63年)3月25日から31日にかけて、一般運用の定時運用にて
' 2100・210形さよなら運転 'を2102編成のリバイバルカラー編成で行った。青電リバイバルカラーは、1週間の短期間運用で青電消滅から僅か6年であったもの、大好評だった。首都圏鉄道会社のリバイバルカラーは、京成の210系2102編成が発端ともいえた。以後、京成を含め各社で歴代のリバイバルカラーが誕生するようになった。
京成の青電塗装も、京成電鉄100周年記念として2009年(平成21年)6月以降に、形式外ではあるが赤電形式の3300形2次車の3353〜3356で行ない運用に就いている。
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リバイバルカラーでさよなら運転を行った2102編成 江戸川 1988年3月27日 (写真2枚共に) |
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東中山駅で優等列車を退避した‘さよなら運転‘リバイバルカラーの2102編成 1988年3月27日 |
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市川真間駅で3050形3054の急行を退避した‘さよなら運転‘リバイバルカラーの2102編成 1988年3月27日 |
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地平ホーム時代の大神宮下駅に進入した‘さよなら運転‘リバイバルカラーの2102編成 1988年3月28日 |
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さよなら運転最終日の2101 京成上野 1988年3月31日 |
2100形2101〜2109・2000形2008・210形210〜219の廃車を最後に、京成在籍車で都営浅草線非乗入車、かつ自動ブレーキをもった青電形式は完全消滅した。
中でも210形211〜219は、車体新製、および足回り機器・台車新製したとはいえ、約55年間京成に在籍し、歴代京成で在籍期間最長の形式となった。
一方、2100形は35年〜36年在籍。現在も残る赤電形式の3300形は車齡38年〜41年でそれよりは短かった。
2100形・210形全廃2年後の、1990年(平成2年)7月29日をもって、京成青電形式を種車とした新京成200形・250形等の釣掛車が引退し、京成青電形式の営業車は完全淘汰した。
1980年代後半〜1990年代初頭にかけては、首都圏の1500V電圧をもつ他社私鉄で、前述の新京成をはじめ、京急・京王・東急・小田急・西武・相鉄等で一般営業車の釣掛車が消滅した時代だった。
廃車後の経緯
2103〜2109、2008、210・213〜214・217〜219は、1988年(昭和63年)4月以降、順次解体した。
青電塗装に戻した2102編成は、4両編成単位で留置したが、雨ざらしといった条件下で保存状態はあまりよくなかった。
1990年(平成2年)2月に2101号のみ再塗装(同色の青電塗装に)。211・212・2102は1990年4月以降に解体した。2101号は保存対象車として、後に廃車になった初代3000形等と共にしばらく留置したが、用地の関係上保存車の対象から外れ、1995年(平成7年)11月に解体した。
又、215・216が、1981年(昭和56年)11月に廃車となった1600形アルミ車1602と共に倉庫代用として使用され、210形2両はファイアーオレンジ塗装のまま使用したが、2001年(平成13年)にホワイトに塗装し21世紀以降も残った。しかし、雨ざらしの為、陳腐化も著しかったため、2006年(平成18年)7月に、215・216は1600形1602と共に解体した。
| 車両データ |
車歴表
| 車号 | 製造 | メーカー | 更新 | 塗装変更 | 廃車 | 備考 |
| 2101 | 1952年 8月 | 帝国車両 | 1971年 | 1981年 7月 | 1988年 3月 | 1988年3月下旬に青電塗装復活 |
| 211 | 1932年11月 | 汽車会社 | 1967年 1月 | 〃 | 〃 | 〃 |
| 212 | 〃 | 〃 | 1967年 3月 | 〃 | 〃 | 〃 |
| 2102 | 1952年 8月 | 汽車会社 | 1971年 | 〃 | 〃 | 〃 |
| 2103 | 1952年 8月 | 帝国車両 | 1971年 | 1981年10月 | 1988年 3月 | |
| 213 | 1932年11月 | 汽車会社 | 1967年 9月 | 〃 | 〃 | |
| 214 | 〃 | 〃 | 1967年 8月 | 〃 | 〃 | |
| 2104 | 1952年 8月 | 汽車会社 | 1971年 | 〃 | 〃 | |
| 2105 | 1952年 8月 | 帝国車両 | 1971年 | 1980年 2月 | 1988年 1月 | |
| 215 | 1932年11月 | 汽車会社 | 1967年 2月 | 〃 | 〃 | |
| 216 | 〃 | 〃 | 1967年 1月 | 〃 | 〃 | |
| 2106 | 1952年 8月 | 汽車会社 | 1971年 | 〃 | 〃 | |
| 2107 | 1953年 5月 | 帝国車両 | 1971年 | 1980年 9月 | 1988年 2月 | |
| 217 | 1932年11月 | 汽車会社 | 1967年12月 | 〃 | 〃 | |
| 218 | 〃 | 〃 | 1967年11月 | 〃 | 〃 | |
| 2108 | 1953年 5月 | 帝国車両 | 1971年 | 〃 | 〃 | |
| 2109 | 1953年 5月 | 帝国車両 | 1970年末 | 1980年 6月 | 1987年 9月 | |
| 210 | 1935年 4月 | 日本車輌 | 1967年12月 | 〃 | 〃 | |
| 219 | 1932年11月 | 汽車会社 | 1967年 5月 | 〃 | 〃 | |
| 2008 | 1950年 6月 | 旧国鉄63形 | 1970年末 | 〃 | 〃 |
※ 塗装変更 : ファイアーオレンジベースにモーンアイボリー帯の晩年の塗装
主要機器 (以下は廃車時のものを示す)
制御方式・主電動機・駆動装置
| 制御方式 | 主電動機 | 駆動装置 | 歯車比 | 搭載車輌 |
| 抵抗制御 | MB-3021-E (110kw 三菱製) |
WNカルダン | 78:19 | 210〜212・215〜216・219 |
| 抵抗制御 | TDK-816/1B (110kw 東洋製) |
TDカルダン | 78:13 | 213〜214・217〜218 |
制御装置・制動装置
| 制御装置 | 制動装置 | 搭載車輌 |
| SE-579-A (東洋製) |
AMMR-R | 210〜219 |
| - |
ATMR-R |
2101〜2109・2008 |
台車
| 台車 | 搭載車輌 |
| FS-365A (住友金属製) |
213〜214・217〜218 |
| FS-365 (住友金属製) |
210〜212・215〜216・219 |
| FS-28 (住友金属製) |
2008 |
| KS-110 (汽車会社製) |
2101〜2109 |
空気圧縮機・補助電源装置
| 空気圧縮機(CP) | 補助電源装置 | 搭載車両 |
| C-1000 (1180 l/min) |
CLG-347 (4.5 kVA・MG) |
2101〜2109・2008 |
※ ‘C-1000‘のCPは、京成社内で ‘A-3-K‘と呼んだ。
| 青電形式の保存車両 |
前述のとおり、ここで紹介した2100・210・2000形、総じて210系20両は、保存車の対象から外れ、倉庫として使用していた210形を含め2006年夏までに解体した。
青電形式としては210形の基礎を作ったモハ200形204が保存車両となった。同車は1931年(昭和6年)11月に製造し、1966年(昭和41年)に全合金化・片運転台化等の更新を施工。1978年(昭和53年)4月に塗装変更・正面ヘッドライト2灯化等の改造を施し新京成に譲渡し、1990年(平成2年)7月末の廃車時まで新京成最後の釣掛車・非冷房車として250形等と共に使用した。その後、204のみは解体せず新京成くぬぎ山工場で留置した。
1991年(平成3年)5月、3200形8M車3217〜3220の2両ユニットに挟んだ牽引により、京成宗吾車両基地に里帰りし、当面新京成廃車時の塗装・スタイルで2100形2101等と共に留置した。
1996年夏〜秋に復元工事に入り、前面ヘッドライトの1灯化等と共に青電塗装に戻した。
翌1997年(平成9年)2月3日より、初代3000形3004や初代AE形AE61と共に、宗吾車両基地内に設置した車両展示ブースに、青電形式代表として保存し続けている。
200形もここで紹介した210形と製造年や更新時期等が近く、内装なども酷似していた。
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宗吾車両基地展示ブースにて保存中の200形204外観(上)と車内(下) 2008年11月5日 (2枚共) |
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