京成2100形・210形・2000形




赤電塗装に変更後の2108号

京成船橋  1984年4月3日

同車は、1980年9月に青電色から、赤電塗装に変更した。






概要




ここでは、最後の青電形式(都営地下鉄浅草線非乗入車だった750・2250形までをいう)として、1987年度まで活躍した2100形2101〜2109、210形210〜219、2000形2008の20両を対象に紹介する。

これら20両は、1967年の210形更新により下記の4両編成5本に組み替えられた。
1980年代に入りファイアーオレンジベースにモーンアイボリー帯の赤電形式(3000形〜3300形)と同塗装に変更され、1987年9月〜1988年3月の廃車時まで使用した。これらをまとめて、‘210系‘と呼ばれることもあった。





赤電塗装で活躍した2101

京成船橋  1987年6月3日

2101は、1981年7月に写真のファイアーオレンジ色(赤電塗装)に変更した。








210形更新後、1968年以降の編成表


←成田


2101-212-211-2102 

2103-214-213-2104 

2105-216-215-2106 

2107-218-217-2108 

2109-210-219-2008 



 ※ 編成名は上野方先頭車を基準に‘ 2102編成 ‘ ‘ 2104編成‘ と称した。









3形式車両の詳細


3形式とも、新規製造時期や更新時期等の経歴が異なり、各形式の詳細を紹介する。




210形

1932年(昭和7年)11月に200形の増備車として製造され、車体両端に運転台をもつ釣掛駆動車だった。
メーカーは211〜219が汽車会社、210が日本車輌。
210(戦災復旧車、1961年に全金化)のみ1935年製の500形511と車両番号を交換したため、経緯は異なっていた。

210〜219は1967年1月〜1967年12月に完全中間電動車として更新された。台枠を再用し17m車体を新製、新性能化(カルダン化)、台車も金属バネのミンデンドイツ仕様のものを新製する等大掛かりな更新が行われた。1M方式だが、MG・CPはペアを組んだ2100形・2000形Tc車に搭載した。

車体はリベットなしの普通鋼製となり、客室の窓配置は扉間4か所の片引き扉車だが、近時期に製造された3150形や3200形に極力準じた仕様になった。

室内は、デコラは貼らず壁面はベージュ、天井面は白に塗装、網棚より上は天井同様に白に塗装された。座席の袖仕切は3200形同様にU字タイプのパイプ式になった。送風機は、三菱電機製の首振扇風機を設置し、背面に通気孔を設けた他、車端部に円形の通気孔を設けた。

足回りはほぼ完全新製となり、駆動装置のカルダン化、主電動機は110kwのものを各車4台搭載し、TD駆動の車両は東洋製、WN駆動の車両は三菱製と2社発注となった。台車は、住友製2種を採用(以下参照)。
2000形・2100形と組んだ2M2T編成での起動加速度は2.0km/h/sとされた。制御装置は700系と同様の多段式(発電ブレーキ無し)となった(この事から広義の700系に含まれると考えられる)。ブレーキ装置は自動空気ブレーキのままで存置された。ブレーキシューはレジン化された。

カルダン化により不要となった釣掛駆動・主電動機は、新京成で車体自社発注新製した250形や京成事業用車(モニ20形等)に流用し、前者は1990年7月まで、後者の一部は2007年3月まで使用した。





2100形


2100形は、戦後本格的な新車として1952年(昭和27年)7月に2101〜2106が落成し、1953年5月に2107〜2111が落成した。‘青電色‘と呼ばれた緑の濃淡塗装でデビューしたのもこの車両が最初で、後に在来車もこの塗装で定着した。

メーカーは、ここで紹介する2101〜2109のうち2102・2104・2106が汽車会社、他は帝国車輛工だった。

車体は片運転台制御車で、半鋼製ながらノーシル・ノーヘッダー、張り上げ屋根、鋼板プレスドア、前面貫通幌の設置、通路幅700mm、角型グローブ室内灯搭載等、後の車両にも引き継がれた点が多かった。寸法も若干拡大された(16.5×2.7m)。台車は汽車製造製KS-104で、制御車ながらパンタグラフを装備(後に撤去)し、電動空気圧縮機(DH-25)を搭載していた。マスコンは当初は併結対象の200形に合わせたものだった。1956年に2110・2111は700形と組むためマスコンを交換、上野方から706-2111-2110-703の編成とされた。全車、1962年9月〜1964年6月に車体が全金属化され、同時に室内照明が蛍光灯に変更され、三菱電機製扇風機が設置された。前面窓・戸袋窓がHゴム、その他の窓枠がアルミ化された。

1967年以降、2101〜2109は更新・新性能化後の210形の制御車としてマスコンを交換、車両番号順に両端に配置された。

1970年末〜1971年に2101〜2109は前照灯のシールドビーム上部左右2灯化、前面幌の撤去等の更新を施行。正面スタイルは赤電形式の3100形に近くなった。室内についても、壁面にベージュ色デコラが貼付された。2110・2111は、運転台を撤去され完全中間車となった。

更新から4〜5年後の1975年前後に台車をKS104から2250形の廃車発生品であるKS110に変更した。

尚、2111は700形とともに1974年9月に新京成電鉄に譲渡され、1985年6月に廃車となったほか、2110は譲渡されず1974年9月に廃車となった。




2000形

1948年〜1950年に17m戦災国電の払い下げを受け、復旧した制御車である。2001〜2018が導入され、2001〜2016は1957年〜1961年に全金製車体に更新された。2017〜18は半鋼製のまま1964年に新京成に譲渡された。
1950年6月新製の2008のみ新性能化後の210形と編成を組むためマスコンを交換、1970年に2100形2101〜2109同様に前照灯のシールドビーム2灯化等の更新が行われた。

ここで紹介する2008のメーカーは汽車会社だった。








更新後、1972年以降の動向・改造等


1975年頃に、全車の客室側扉を、鋼製で窓ガラス支持方式が黒Hゴムのものから、アルミ製でHゴム支持を廃したもの(室内側は壁面同色に塗装)に変更した。
更新直後は、上野〜千葉(現・千葉中央)間の快速等に使用されることもあった。しかし、750系が消滅した1974年(昭和49年)以降、発電ブレーキを装備しない青電形式は、4両特別運用枠に入り使用した(一部急行・特急等優等運用もあった)。成田空港駅が開業した1978年5月以降は、青電専用の4両特別運用枠は普通運用限定となり、以後青電形式が優等運用に就いた実績は、ダイヤ乱れ時を含めない。

1980年2月の2106編成を皮切りに、青電塗装から赤電形式同様にファイアーオレンジにモーンアイボリー帯への塗装変更を開始した。尚、帯部分はカラーフィルムタイプで、赤電形式特有のステンレスの縁取りは省略した。塗装変更は1981年10月の2104編成を最後に完了した。その間、1980年3月末に釣掛車500形・200形は青電塗装のまま全廃されたこと、行商専用車に使用された3両のうち1600形1602が1981年11月に廃車されたこと、残る行商用の先頭車700形704と2200形2203の2両が1982年2月に廃車されてから青電形式は以上の20両のみになった。よって、青電塗装の一般営業車は消滅した。500形・200形が全廃となった1980年3月時点で、京成は関東地方の大手私鉄で最初に一般営業用車両全車のカルダン車化を達成した。

塗装変更後も、本線・金町線・千葉線普通に使用した。自動ブレーキで加速性能も、3000番台各形式より劣るため、ラッシュ時に本線使用される機会は少く、4両運用特別枠で運用に就いていた。尚、車両の運用上、稀に4両運用特別枠に赤電形式や3500形の4両編成が使用したこともあった。

軽微な改造としては、1984年9月〜1985年11月に側面客用扉開閉確認灯が2灯化され、ケースも円形のものから一体化・カプセル形に変更、それと前後する形で室内のアルミ製塗装仕上の乗務員仕切扉窓支持方式が黒Hゴムから金属押さえ金に変更した。これは、赤電形式でも同時期に行った。

1984年秋に2109のみ側面客用扉をステンレス製のものに交換した。





晩年、赤電塗装の先頭制御車2100形2105

京成関屋  1987年9月5日

基本的に3000番台の赤電と同色だが、帯にステンレスの縁取りがないのが特徴だった。





‘さよなら運転時‘の2100形2102車内

1988年3月27日

座席形状や、塗装した壁面が2100形の特徴だった。










種別表示板に、新駅名となった‘千葉中央‘の行先を表記した2105

千住大橋   1987年5月31日

2105は1952年製で1971年に更新。1980年2月に2100形のトップをきって、赤電色同様のファイアーオレンジに塗装変更した。撮影時は車齢35年だった。‘千葉中央‘ への駅目変更の直後で、方向板は‘千葉中央‘の行先表示板が未設置だった。よって、本来種別表示する板に同行先を縦書きで表示していた。












廃車

1987年9月、3600形3638編成の代替として2008編成が廃車になった。これをもって、2000形は2100形・210形に先立ち形式消滅となった。

京成在籍車両の廃車は、行商専用車で1982年1月末に廃車になった704・2203以来5年半振りであり、一般営業車としては前述の500形・200形以来7年半振だった。

1988年1月〜3月に3600形6両編成3本(3648編成〜3668編成)18両が入線し、それと替わる形で、2100・210形4両編成4本は順次廃車された。

そのうち、2102編成は青電塗装に戻され、1988年3月25日から31日にかけて '2100・210形さよなら運転'を行った。
その後2102編成は留置し続けたが、1990年春に2101号車のみ再塗装し、他の3両は1990年夏に解体した。2101号は保存車対象としてしばらく留置していたが、用地の関係上同車は保存車の対象から外れ1995年秋に解体した。

又、215・216が、1981年7月に廃車された1600形アルミ車1602と共に倉庫代用として使用され、210形2両はファイアーオレンジ塗装のまま使用したが、2001年にホワイトに塗装した。雨ざらしの為陳腐化も著しかったうえ、工場内に別途倉庫を設けた為、2005年春に、215・216は解体した。






リバイバルカラーでさよなら運転を行った2102編成

江戸川  1988年3月27日 (写真2枚共に)











東中山駅で優等列車を退避した
‘さよなら運転‘リバイバルカラーの2102編成

1988年3月27日







市川真間駅で3050形3054の急行を退避した‘さよなら運転‘リバイバルカラーの2102編成

1988年3月27日






地平ホーム時代の大神宮下駅に進入した‘さよなら運転‘リバイバルカラーの2102編成

1988年3月28日










車両データ





車歴表

車号 製造 メーカー 更新 塗装変更 廃車 備考
2101 1952年 8月 帝国車両 1971年 1981年 7月 1988年 3月 1988年3月下旬に青電塗装復活
211 1932年11月 汽車会社 1967年 1月
212 1967年 3月
2102 1952年 8月 汽車会社 1971年
2103 1952年 8月 帝国車両 1971年 1981年10月 1988年 3月  
213 1932年11月 汽車会社 1967年 9月  
214 1967年 8月  
2104 1952年 8月 汽車会社 1971年  
2105 1952年 8月 帝国車両 1971年 1980年 2月 1988年 1月  
215 1932年11月 汽車会社 1967年 2月  
216 1967年 1月  
2106 1952年 8月 汽車会社 1971年  
2107 1953年 5月 帝国車両 1971年 1980年 9月 1988年 2月  
217 1932年11月 汽車会社 1967年12月   
218 1967年11月   
2108 1953年 5月 帝国車両 1971年   
2109 1953年 5月 帝国車両 1970年末 1980年 6月 1987年 9月   
210 1935年 4月 日本車輌 1967年12月    
219 1932年11月 汽車会社 1967年 5月     
2008 1950年 6月 旧国鉄63形 1970年末   


※ 塗装変更 : ファイアーオレンジベースにモーンアイボリー帯の晩年の塗装













主要機器 (以下は廃車時のものを示す)



制御方式・主電動機・駆動装置 

制御方式 主電動機 駆動装置 歯車比 搭載車輌
抵抗制御 MB-3021-E
(110kw)
WNカルダン 78:19 210〜212・215〜216・219
抵抗制御 TDK-816/1B
(110kw)
TDカルダン 78:13 213〜214・217〜218





台車 

台車 搭載車輌
FS-365A 213〜214・217〜218
FS-365 210〜212・215〜216・219
FS-28 2008
KS-110 2101〜2109









空気圧縮機・補助電源装置 

空気圧縮機(CP) 補助電源装置 搭載車両
C-1000
(1180 l/min)
CLG-347
(4.5 kVA・MG)
2101〜2109・2008

※ ‘C-1000‘のCPは、京成社内で ‘A-3-K‘と呼んだ。