| 京成1000形 |
千葉急行1000形 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 京成1000形概要 |
1988年(昭和63年)12月、京成はラッシュ時等の増発用として、京急で除籍となった1000形1029〜1032・1037〜1040の4両編成2本を京急車輌工場を経てリースした。リース期限は6年とされ、車号・塗装の変化はなかった。京急1000形も都営地下鉄浅草線乗入対応車だった為、リース時の改造も最小限に抑えることができた。
1988年12月12日より ‘ 京成1000形 ‘ として8両編成で営業運転開始した。
編成は以下で、リース開始から約2年間は、4両+4両の8両編成で使用した
←成田空港・千葉中央
1032-1031-1030-1029
1040-1039-1038-1037
大手私鉄同士のリースは前代未聞だった。全般検査等大掛かりな検査等は京急の久里浜工場で行うのが原則だった。
京成も1988年当時は経営難から脱出した頃で、3700形設計段階に入り、6両固定編成の3600形が増備中だった当時は8両の新車を作るのは先送りとなったのも理由の一つだった。結果として、後述のとおり京成車としては、1991年度までの約3年間使用した。
リース対象車、京急在籍時の主な経緯
リース対象となった京急1000形2次車の1029〜1032・1037〜1040は、いずれも1960年製で京成3100形1次車と同期の車両。新製時は湘南形・地下鉄乗入非対応だったが、1970年前後に前面貫通扉を設置し地下鉄乗入対応。1982年に冷房化工事を兼た更新修繕が行われた。
その後の活躍は比較的短く、相次ぐ1500形の増備により、1988年10月末付で京急から除籍となった。
車両メーカーは1029〜1030が東急車輛、1031〜1032・1037〜1040は川崎重工。東急車輛製の車両は東急車輛製の台車、東洋製の主電動機を、川崎重工製の車両は川崎重工製の台車、三菱製の主電動機を搭載した。
余談だが、京急の主力車として1958年〜1978年に製造した都営浅草線乗入対応車の1000形は、1986年より初期車から順次廃車が始まった。
上記の1029〜1032・1037〜1040と同期の車両も、1988年前後に順次廃車とし、一部、高松琴平電鉄や北総開発鉄道に譲渡した。
京急1000形は、600形や新1000形等相次ぐ新形式車の増備により廃車が進行し、近年は、後期車が大師線や本線普通運用を中心に使用しており、都営浅草線等他社に乗り入れる機会は減った。
リース時の改造
・方向幕を京急仕様のものから京成仕様の物に交換し、青地に白文字とした。
・前面貫通扉に、外付の種別板箱を設置した(これは京成で、3200形更新時に発生した余剰品を流用)。
これも短命で、リースから1年足らずの1989年10月に、貫通扉種別表示窓を設け、3150形更新車同様に内側から変更できる仕組に変更した。
・室内広告枠を京成仕様のサイズに変更した。
・車体側面のKHKロゴを廃し、Keiseiロゴに変更した。
・前面連結機を京急仕様の電気連結器付き密着連結器から、京成仕様の密着自動連結器に変更した。
その他、塗装は京急色のままで、内装等も殆ど変化なかった。
![]() |
塗装等も京急時代のままリースした1029ほか8両 東中山 1990年7月19日 撮影時は、貫通扉部の種別表示窓を設置した後の姿 |
京成リース期間中の経緯
リース直後は、成田方から1040〜1037+1032〜1029の8両編成で朝夕ラッシュ時間帯の通勤特急を主に使用され、京成上野〜青砥に乗り入れる事はなく運用は限定されていた(当時の通勤特急は1985年10月19日改正から1998年11月17日まであった2代目の種別で、現在の快速特急と停車駅は同一。現在の3代目の通勤特急は2002年10月12日改正時に誕生)。
1989年6月以降、青砥〜上野間優等運用にも使用する事になり、日中も本線特急運用や、都営線直通急行運用等にも使用され、3500形等8両運用に混じり終日使用する機会が増えた。
この間も、前述の1040〜1037+1032〜1029といった8両編成が主だったが、編成替により、一時1032〜1029+1040〜1037といった編成を組んだ実績もある。
1990年12月より4両編成2本に分割され、普通運用主に4両運用に混じり使用した。その時点で、金町線や千葉線にも初入線した。以後、再度8両編成が組まれる事はなかった。
1991年2月に1029〜1032の編成が全般検査を受ける為、京急の久里浜工場へ自走回送した。
![]() |
4両編成で使用する1040(1037〜1040編成) 京成津田沼 1991年3月29日 偶然ながら、1037〜1040編成と1029〜1032編成が、京成津田沼駅3・4番線で並び、一見京急線内のホームを思わせるシーンの写真。 |
廃車・千葉急行へ再リース
1991年春に3700形8両編成3本が就役した事から、京成車としてのリース車1000形の活躍も終盤を迎えた。
1
991年11月末に1037〜1040が京急に返却され、久里浜工場へ自走回送し、営業運転に戻る事はなく即廃車解体となった。
1992年1月中旬に1029〜1032編成が又貸しという形で、同年4月1日に千葉中央〜大森台間で新規開業した千葉急行にリースし、京成から1000形は約3年で形式消滅した。千葉急行所属となった1029〜1032編成は、開業直前までは塗装変更や社名ロゴ変更等せず、京成在籍時の姿のまま千葉線・千葉急行線を中心に各種試運転を行っていることが多かった。
![]() |
千葉線で普通運用で使用した晩期の1037ほか4両 幕張本郷 1991年9月2日 1037〜1040編成は、1991年11月末をもって京急に返却→廃車解体される事になった。 幕張本郷駅は1991年8月6日に開業した新駅の為、同編成が停車したのも僅か3〜4ヶ月と短期間だった。 |
| 1029〜1032編成の再リースにより誕生した 千葉急行1000形 |
1992年(平成4年)4月1日より、1029〜1032はブルーベースに白帯に塗装変更、Keiseiロゴを千葉急行ロゴに変更のうえ、千葉急行車第1陣として営業運転を再開した。それにあたっての改造等は前述の塗装変更と社名ロゴ変更以外なく、帯のサイズや配置も京急1000形と同一で、京急1000形ブルーバージョンともいえた。
千葉急行が新規開業した1992年4月1日から中旬までは、同社をアピールするヘッドマークを掲げて運用に入った。
千葉急行は京成と相互乗入を行い、千葉急行所有車の運用は全て京成が委託していた為、他の京成車4両に混じり運用に入った。その為、金町線や京成津田沼以東本線(京成津田沼〜東成田)に入線する事も通常で、数少なくなった4両急行運用に就く事も稀にあった(4両運用は1995年4月改正以降は普通運用のみとなった)。
![]() |
千葉急行車として塗装変更の上使用した1032 船橋競馬場 1992年4月6日 撮影時は、千葉急行線開業直後で、ヘッドマークが掲げられていた。 |
![]() |
千葉線運用に就いた1032 みどり台 1992年4月26日 |
京急に返却した1029〜1032
1994年1月中旬、2年近く千葉急行車として使用してきた1029〜1032は、京成3050形3071〜3074に座を譲り京急に返却。
その際、ブルーバージョン塗装のまま京急の久里浜工場に自走回送され、営業運転に戻らず即廃車解体となり、約5年のリース生活に終止符を打った。
余談だが千葉急行は、1998年(平成10年)10月1日をもって京成と吸収合併し、6年半の短期間で会社は無くなった。
![]() |
晩年、本線系統普通運用に就いた1032 谷津 1993年12月11日 |
車暦表
| 車号 | 製造 (京急時代) |
冷房化 (京急時代) |
京急除籍 | 京成リース期間 | 千葉急行リース期間 | 京急返却 |
| 1029〜1030 | 1960年 | 1982年12月 | 1988年10月 | 1988年12月〜1994年1月 | 1992年1月〜1994年1月 | 1994年1月 |
| 1031〜1032 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
| 1037〜1038 | 〃 | 1982年6月 | 1988年10月 | 1988年12月〜1991年12月 | ー | 1991年12月 |
| 1039〜1040 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | ー | 〃 |
| 車両データ |
主要機器
制御方式・主電動機・駆動装置・台車
| 制御方式 | 主電動機 | 駆動装置 | 歯車比 | 台車 | 搭載車両 |
| 抵抗制御 | MB-3058BS (75kw) |
WNカルダン | 19:88 | OK-18F | 1031〜1032・1037〜1040 |
| 抵抗制御 | TDK-810/6H (75kw) |
TDカルダン | 14:77 | TS-310B | 1029〜1030 |
空気圧縮機・補助電源装置
| 空気圧縮機(CP) | 補助電源装置 | 搭載車両 |
| A-2 (700l/min) |
MG-111-S (75kVA・MG) |
1032・1038・1040 |
| A-2 (700l/min) |
TDK-3735-B (75kVA・MG) |
1030 |
| 車両アルバム |

京成在籍時、4+4の8両編成時代の1032
東中山 1989年11月4日

京成在籍時の1029
京成稲毛 1991年8月23日

晩年の1040
大神宮下 1991年3月20日
1037〜1040編成は1991年12月に京急に返却し、即廃車解体した。

千葉急行在籍末期の1032
新三河島 1993年9月26日

本線系統普通運用に就いた千葉急行時代の1029
京成中山 1993年4月21日
京成臼井行の表示は1991年春以降は‘うすい‘の平仮名表記に改定したが、同編成のみ旧タイプの漢字表記コマが残っており(平仮名表記と混同していた)、乗務員の操作により写真の旧タイプ表記で運用に入る事もあった。

京成津田沼駅3番線に停車した千葉急行時代の1032
1992年10月25日

船橋競馬場駅1番線ホームに進入する1029
1992年12月27日
![]()