京成AE形
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デビュー時の塗装だった頃のAE40 京成船橋〜大神宮下 1984年6月2日 撮影時は前年1983年10月より行ってたAE形塗装変更最中だった。 AE40編成は、1984年10月に塗装変更を行い、同時にAE形の塗装変更は完了した。 同編成の先頭車のAE31・AEは8両固定編成化時の1990年7月に制御機・主電動機・台車等新調のうえ中間電動車化改造されAE64・AE65に生まれ変わり6両固定編成のAE70編成に挿入。1993年6月にAE形最後の編成として運用離脱し、1995年11月に3400形3448編成の中間電動車3444・3445に生まれ変わった。 |
| 概 要 |
AE形1972年2月、翌1973年春に予定していた成田空港の開港にあわせ、日本初の空港連絡特急専用車両としてデビューした。
京成初の界磁チョッパ制御車・冷房車の特急形車両。、特急形車両の界磁チョッパ制御車は、他社でも例が少なく希少だった。
編成は、当初10両固定編成化を考慮して第1編成目をAE1〜AE10、第2編成目をAE11〜AE20といった順で、全編成とも末尾4〜7は欠番とした6両固定編成で登場した。編成名は京成上野方の車両番号で第1編成をAE10編成、第2編成をAE20編成と呼ぶ。末尾2と8の車両に京成初の下枠交差式のパンタグラフを設置。空気圧縮機は末尾3と9の車両に大容量2段圧縮タイプのC-2000Mを搭載した。冷房装置などのサービス機器電源である電動発電機(MG)は両端先頭車両(末尾1と0の車両)に大容量110kVAのものを搭載した。先頭車をTc車で、中間車をM車とし140kwの主電動機を各車4台搭載した4M2Tの編成とした。
走行機器は東洋製の界磁チョッパ制御で、50km/h以上の速度では任意の速度での走行が可能な定速走行機能を装備しており、運転台に速度指令計を搭載した。設定最高速度は115km/hである(営業運転では105km/h)。回生制動は永久並列制御のため45km/hで失効する。
主幹制御器にはワンハンドル式を採用し、ブレーキは常用5段+非常、マスコンはON(起動)と50K(並列+定速制御)と50K〜115Kの無段階である。なお、マスコン部に刻まれた「K」の表記は「km/h」を意味する。
その他、性能的な面でワンハンドルマスコン・電気指令式ブレーキを初採用した。
外観デザインは、流線型タイプとなり、正面にステンレス製のスカートと愛称表示器を設置した。客用扉は750mm幅の折戸を各車に設置した。塗装は、クリームとマルーンの1600形の特急時代を彷彿させるシックなツートンカラーであった。
冷房装置は分散式タイプのものを搭載し、室内側はスポットタイプの吹出口となった。
車内放送にはテープ式の自動放送装置が採用された。
室内は空港連絡特急用ということもあり、各車に荷物置場を設置した。配色は仕切面にチーク木目、側面にイエロークリームのチェック柄のデコラを張り、天井は平天井となった。座席はで、当初は表地がレザー生地だったが、後にブラウンの段付モケットに変更された。全体的にブラウン系でまとめられ落ち着いた雰囲気となった。
当初計画では、1973年の成田空港開業時に6両編成5本が必要とされたため、AE10編成〜AE50編成の30両が1972年3月に落成した。
しかし、成田空港は、地元住民の反対や過激派の問題等から開港が延期され、本形式編成は約1年半雨ざらしの憂き目にあった。
1973年12月30日から京成上野駅〜京成成田駅間のノンストップ特急で暫定的に使用を開始し、愛称表示器は`特急`を掲出した。この暫定使用については当時の運輸省がなかなか認めず、京成が自らの窮状を訴えてようやく認められたものである。
空港開業直前の1978年5月5日未明、建設に反対する過激派によってAE30編成中のAE29号が放火で全焼し同車は廃車になったが、当時、東急車輛にて製作中だったAE70編成のうち中間車1両を急遽AE29に振り替え、1978年8月に2代目のAE29号が代替新製した。
1978年5月20日、成田空港は予定より約6年遅れて開港。開港翌日より空港特急の名称およびAE形車両の愛称として「スカイライナー」と命名され運用を開始した。運用本数は1972年当時の計画より増やした為、1978年3月にAE60編成が落成し、さらに予備車確保の為、開港後の1978年11月にAE70編成が落成し、最終的には6両編成7本在籍することになった。
メーカーは、編成単位でAE10編成・AE20編成・AE60編成・AE70編成が東急車輛、AE30編成・AE40編成・AE50編成が日本車輌。
悲惨な出来事が多かったAE形だが、車両のデザイン等は評価が高く、1974年に鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞した名車でもあった。
1990年以前(6両編成時代)の改造・動向・特筆事項等
車体塗装をクリームとマルーンのツートンカラーから、イメージアップのために1983年9月に、AE70編成を皮切りに、外部塗色をグローバルホワイトにフューチャーブルーとヒューマンレッドのストライプを入れたものに順次変更し、1984年10月のAE40編成を最後に完了した。
1985年の時点では、1990年代初頭に車体更新を行う計画もあったが、空港ターミナルビル直下への乗入や、それに伴い後継車両(現在のAE100形)を新製する事が、1987年度内に具体化した為、取り止めになった。
1987年前後に、ワイパーの構造を上方軸タイプから下方軸タイプに変更した。
1988年2月〜1989年1月に座席をリクライニング式回転クロスシートに変更した。座席表地は、ブルー地にグリーン・レッドのライン入の斬新なものになった。
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塗装変更後のAE51 千住大橋 1987年8月1日 写真のAE51を含むAE60編成は1977年12月に新製。撮影時は車齢10年足らずの若さ だった。1983年12月に塗装変更を行い、写真の姿になった。 同編成は、1991年秋に運用離脱した。 |
8両固定編成化
1991年3月の空港ターミナルビル直下乗入に備え、「スカイライナー」はAE100形8両編成2本を新製し1990年6月19日から8両編成での運用を開始し、同年7月7日からは全列車が8両編成で運用することになったが、使用編成数は7本のままであった。その為、1990年6月中旬〜7月末にかけてAE形を6両編成7本から8両編成5本に置き換える事になった。AE形組成変更の過渡期には、6両・8両混合運用での特別ダイヤも組まれた。
組成変更はAE30・AE40編成の中間電動車2両ユニットを他の5編成に挿入し、先頭車はTc車、中間車をM車とした6M2Tの8両編成を組成。不足する2両分については制御車のAE30・AE40号を中間電動車に改造し、制御器・主電動機は他のAE形電動車と同一品を新製し、台車についてはAE100形と共通のFS-543Aを新調、AE64・AE65と改番のうえAE70編成の中間に挿入した。AE70編成は以上の工事の関係から、他編成より遅れ1990年7月末から8両編成で営業運転に入った。
余剰になったAE21・30号は1990年6月末に廃車した。
組成変更後の編成は下記の通りである。
←成田空港
AE1-AE -AE 3-AE28-AE23-AE 8- AE 9-AE10
AE11-AE12-AE13-AE38-AE33-AE18-AE19-AE20
AE41-AE42-AE43-AE48-AE49-AE22-AE29-AE50
AE51-AE52-AE53-AE58-AE59-AE32-AE39-AE60
AE61-AE62-AE63-AE64-AE65-AE68-AE69-AE70
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8両固定編成化後のAE20 東中山 1990年11月10日 AE20編成は1984年7月に塗装変更。1990年夏に8両固定編成化を行い写真の姿になった。 同編成は1992年7月をもって運用離脱。 1993年9月以降は車体新製のうえ3400形3418編成として活躍している。 |
運用離脱・引退
8両編成化後は目立った動きもなく、1991年度以降も順次AE100形を新製する事により、1993年夏までにAE形は順次運用離脱することが決定した。
AE100形AE128編成・AE138編成の運用開始により、1991年7月にAE10編成、同年10月にAE60編成が運用離脱した。その時点で「スカイライナー」は半数以上がAE100形に置き変わった。運用離脱後は、各8編成交代で、一旦東成田駅(旧・成田空港駅)の「スカイライナー」が発着したホームに保留され、後に宗吾車両基地に移動した。
AE100形AE148編成・AE158編成の運用開始により、1992年7月末にAE20編成・AE50編成が運用離脱した。この時点でAE形はAE70編成1本のみとなり、終日AE100形での運用が可能になった。AE70編成は予備車扱いとなり、終日入庫の日が殆どとなった。AE100形のうち1本が検査等で終日入庫になった日等に定期運用に入る事が多かった。1993年3月末〜4月下旬には、AE100形138編成が重要部検査に入った際、ほぼ毎日のように定期運用されていたが、AE138編成の出場直後、再び予備車扱いとなった。その後は定期運用に入る事なく、1993年5月下旬にAE168編成の運用を開始した。
1993年6月27日、最後の1本となったAE70編成で、特設ダイヤによる「さよなら運転」が行われ、これをもってAE形は全車、完全運用離脱した。
AE形は運用離脱後、車体を順次解体し、40両全車の足回りや台枠を1993年1月〜1995年11月に製造した通勤車3400形に流用した。書類上は‘3400形に改番のうえ改造‘としたため、`廃車`とはならなかった。従って、AE形の形式消滅は、3400形最終竣工した3444・3445が落成した1995年11月で、完全運用離脱から2年は籍があった。
改番にあったっては8両固定編成化後のAE10編成→3408編成、AE20編成→3418編成、AE50編成→3428編成、AE60編成→3438編成、AE70編成→3448編成となった。
AE形と改造後の3400形が同時期に定期運用に入ったのは、1993年2月中旬〜1993年4月下旬の2ヶ月のみだった。
AE61の車体は解体されずに宗吾車両基地で保留となっていたが、1997年2月以降、200形(譲渡先の新京成電鉄200形から塗装等復元)や3000形と共に宗吾車両基地に引退時の塗装で保存している。尚、AE61の台車は3400形3443に流用したため、1993年3月に廃車となった3050形3051号で使用していたKS-116を装着し、現役時代とは印象が異なる。
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8両固定編成化後のAE11 京成津田沼 1991年11月4日 撮影時はAE100形は4編成目・AE形3編成で運行され、AE10・AE60編成は運用離脱していた。 |
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塗装変更後は、先頭車側面の配色が特徴だった。 写真はAE41。 京成津田沼 1991年4月27日 |
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晩年のAE70 菅野 1992年12月30日 AE70編成はAE形のトップを切って1983年10月に塗装変更。1990年夏に、AE31・AE40を中間電動化したAE64・AE65を挿入し8両固定編成化を行なった。 同編成は1992年8月以降は最後のAE形、予備車扱いとしてAE100形1編成が検査等入場時に使用していた。1993年6月、‘AE形さよなら運転‘を行い運用離脱(引退)した。 1995年秋以降は車体新製のうえ3400形3448編成として活躍している。 |
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運用離脱直前のAE50 船橋競馬場 1992年6月10日 |
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運用離脱直前のAE61 京成津田沼 1993年4月21日 写真のAE61は、1997年2月以降も宗吾検車区に化粧直しのうえ保存している。 |
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宗吾車両基地にて保存したAE61 2007年6月24日 AE61のみ車体は解体されず保存したが、台車を3050形廃車流用品のKS-116を装着した為、現役時代とは印象が異なる。 |
| 車両データ |
車歴表
製造〜1990年5月
| 車号 | 製造 | メーカー | 備考 | 塗装変更 |
| AE 1〜AE10 | 1972年 3月 | 東急車輛 | 1983年11月 | |
| AE11〜AE20 | 1972年 3月 | 東急車輛 | 1984年 6月 | |
| AE21〜AE30 | 1972年 3月 | 日本車輛 | AE29は放火により全焼、1978年5月廃車。2代目のAE29は、1978年8月、東急車輛にて新製 | 1984年 7月 |
| AE31〜AE40 | 1972年 2月 | 日本車輛 | 1984年10月 | |
| AE41〜AE50 | 1972年 2月 | 日本車輛 | 1984年 4月 | |
| AE51〜AE60 | 1978年 3月 | 東急車輛 | 1983年12月 | |
| AE61〜AE70 | 1978年11月 | 東急車輛 | 1983年 9月 |
1990年6月〜運用離脱
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廃車(8両固定編成化による余剰廃車)
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改番・先頭車の中間電動車化(8両固定編成化による)
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| 車号 | 8両固定編成化 | 備考 | 運用離脱 |
| AE1-AE -AE 3-AE28-AE23-AE 8- AE 9-AE10 |
1990年6月中旬〜7月上旬 | 1991年 7月 | |
| AE11-AE12-AE13-AE38-AE33-AE18-AE19-AE20 |
〃 | 1992年 7月 | |
| AE41-AE42-AE43-AE48-AE49-AE22-AE29-AE50 |
〃 | 1992年 7月 | |
| AE51-AE52-AE53-AE58-AE59-AE32-AE39-AE60 |
〃 | 1991年10月 | |
| AE61-AE62-AE63-AE64-AE65-AE68-AE69-AE70 | 1990年7月下旬 | AE61の車体のみ保存車として、1997年2月より宗吾車庫内に展示。 |
1993年 6月 |
| 運用離脱後は3400形に足回りを譲り形式変更。車体は解体。詳細は3400形のページをご覧下さい。 | |||
主要機器 (以下は8両固定編成化後のものを示す)
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制御方式・主電動機・駆動装置
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台車
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補助電源装置
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空気圧縮機
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