京成を中心に、近隣グループ会社の北総、千葉急行等の車両各形式を詳しく紹介します。

京成 赤電を中心に、初期ステンレスカー京成3500形から新鋭新3000形まで、1980年代末期まで活躍した車両や、現在増備中の車両全形式を画像と共に紹介します。 今はなきファイアーオレンジ塗装車や赤電初期形式等、懐かしい画像多数あります。


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京成 青電 210系


京成2100形・210形・2000形

1988年消滅

京成通勤形鋼製車は、1960〜1970年代、都営地下鉄浅草線乗入対応の3000形以降の車両は暖色系に塗られ‘赤電‘と呼ばれたのに対し、750・2250形以前の都営地下鉄浅草線非乗入車は緑の濃淡の塗装を装ったことから、‘青電‘(当サイトでは青電形式と呼ぶ)と呼ばれた。青電形式は、ここで紹介する210系20両以外の一般旅客車両は、新京成に譲渡する等、1980年3月までに京成から除籍した。

青電形式のうち1952年(昭和27年)〜1953年製の2100形9両、旧国鉄63タイプの2000形1両の制御車、及び1932年(昭和7年)〜1935年に製造した210形10両電動車は、1967年〜1971年の更新で、高性能車化(WNカルダン化、もしくはTDカルダン化)、不燃化対策等を行い、1987年(昭和62年)9月〜1988年3月の廃車時まで使用した。これら20両を総称し‘210系‘と呼んだ。

塗装は、統一性を考慮し1980年2月〜1981年10月に赤電形式と共にファイアーオレンジベースにモーンアイボリー帯の配色に変更した。しかし、電気ブレーキを持たず加減速が劣る事や、17m車で都営地下鉄浅草線乗入非対応な事から、晩年は自社普通運用限定で使用した。

京成の一般旅客車は1980年3月、500形・200形を最後に釣掛車は消滅し、関東大手私鉄で最初に全車両高性能化を達成した。

一般旅客車の青電塗装もこのグループの塗装変更が完了した時点で消滅し、後に行商専用車の700形・2200形704・2203が1982年1月に廃車となり完全消滅した。

尚、このグループの引退直前に4両が、約6年振に青電塗装リバイバルカラーに戻され、ファンを喜ばせた。







京成 赤電 (京成3000系)


京成初代3000形
(3001〜3014)


1991年消滅



京成3050形
(3051〜3076)
千葉急行3050形

1996年消滅


京成3100形
(3101〜3116・3121〜3136)
千葉急行3100形

1998年消滅


京成3150形
(3151〜3194)
千葉急行3100形
北総7050形

2003年消滅


京成3200形8M車 
(3201〜3220)


2004年消滅




京成3200形6M車 
(3221〜3280)
北総7250形


2007年消滅


京成3200形 3290番台
(3291〜3298)


2007年消滅


京成3300形1次車 
(3301〜3316)
北総7260形


京成3300形2次車
(3317〜3350・3353〜3356)



1958年(昭和33年)に日本初の地下鉄乗り入れ私鉄車両としてデビューしたのが18m3扉車の3000形。1960年末より後に製造した3050形や3100形と共に都営1号線(現浅草線)乗り入れを開始し、以後、京成通勤形新製車は全て18m3扉車の都営浅草線乗り入れ仕様となった。
青電形式750形に続きTDカルダン、もしくはWNカルダンを使用する等京成の高性能車の基礎を作った。広幅貫通路や室内送風機ファンデリアの採用等当時はグレードの高い車両だった。

その後はライト2灯化、両扉化、方向幕搭載等マイナーチェンジの度形式を変え、3050・3100・3150・3200・3300形と6形式に分類し1972年3月までにのべ258両新製。京成の主力車となった。

塗装も3050形以降は明るいモーンアイボリーとファイアオレンジベースのツートンにステンレスで縁取ったミスティラベンダー帯でデビューし3000形も後に変更。これら6形式258両を総じて'赤電'、もしくは'3000系'と呼んだ(ここでは赤電形式と呼ぶ)。
台車・主電動機は汽車会社製台車を履く車両は東洋製主電動機、住友金属製の台車を履く車両は三菱製主電動機となり、各形式共2社の台車・主電動機をもつ点が興味深い。

1976年10月〜1992年4月に更新を行い、その結果全車が30年以上在籍した。
1980年代に入り京成の車両冷房化率は他社と比較し大幅に遅れをとっていたが、3050形以降の車両で1983年春〜1991年春に冷房化を行ない車両完全冷房化に挑めた。
その間、VVVFインバーター制御やクロスシート等を試みた車両等、バラエティー豊かな車両が揃った時代もありファンを喜ばせた。

塗装は1980年2月〜1982年4月に、コスト削減の為ファイアーオレンジベースにモーンアイボリー帯の配色に変更。1991年末以降3200形で4色の試験塗装を行った後、3100形以降の形式では、1993年6月〜1995年6月にライトグレー(アクティブシルバー)ベースにレッド(ヒューマンレッド)+ブルー(フューチャーブルー)帯の配色に変更した。

1991年3月に初期形式で非冷房車で残った3000形と3050形の一部が廃車となり京成の車両冷房化率は関東大手私鉄の京急・相鉄・小田急・西武に次ぎ100%となった。

以後1993年3月以降は3700形や3400形、後にデビューした新3000形代替に冷房車も古い形式から順次廃車となり、2008年時点では後期形の3300形40両が残るのみとなった。1994年以降は廃車間近の車両を中心に系列会社の千葉急行、もしくは北総へ常時リースしている(千葉急行は1998年9月30日をもって解散・京成に吸収合併し、以後は北総に常時リースしている)。

かつての主力車両だった赤電形式も2008年時点でリース車を含め50両を切り、数年後に全廃となる可能性が高い。



京成グループ会社、元京急旧1000形の譲渡車・リース車



北総7150形

1998年消滅


京成1000形
千葉急行1000形

1994年消滅

1980年代末から1990年代前半にかけて、京成をはじめグループ会社の北総、千葉急行に当時京急で廃車が進行していた旧1000形初期車のリース車・譲渡車が順次誕生した。該当した車両は24両であったが、最盛期は京成線内で現役京急旧1000形と合流する等、ファンを喜ばせた。

1988年(昭和63年)12月、京成で京急から除籍となった1000形4両編成2本計8両を6年契約でリースした。車号・塗装変更せずにリースにあたっての改造は最小限に抑えた。大手私鉄間の譲渡は過去に東急→名鉄の例はあったが、リースは前代未聞の事例だった。これは輸送力増強の為で、当時の京成では8両編成の新造車(現行の3700形)が設計段階であったことからこのような珍事が生じた。

1991年(平成3年)3月31日の北総2期線開業時に、京急から旧1000形8両編成1本と4両編成2本の計16両を譲渡し、塗装変更の上、'北総7150形'と改番した。

京成1000形は3700形がデビューした後の1991年末以降、4両編成1本は京急に返却し即廃車とした。
そして、残る4両編成1本は翌1992年(平成4年)4月1日に新規開業した千葉急行に又貸しといった形で塗装変更の上リースし、京成から1000形は消滅した(千葉急行は1998年9月30日をもって会社解散し、京成に吸収合併し、京成千原線となった)。

それまでの京成グループ会社へのリース車・譲渡車は、都営浅草線乗入対応の純京成車で冷房車の除籍対象車がいなかった為、都営浅草線乗入対応車で冷房化済の京急1000形初期車で行い、改造を最小限に抑えた。よって、都営浅草線経由で京急久里浜工場で車両の検査等整備を行う事ができ、円滑な運用ができた。

京成でも1993年3月以降、冷房車の廃車が始まり、以後グループ会社は京成車でリースを行う事により車両数を確保する方針に切り替えた。

1994年1月に千葉急行車リース車は京成3050形4両をリースする事により開業時以来の1000形4両は京急に返却後廃車となり消滅した。

1995年9月末、京成3150形8両を改番・帯色変更のうえ北総7050形としてリースすることにより、7150形8両は廃車になった。その時点で、京成グループに在籍した元京急1000形は北総7150形4両編成2本のみとなったが1998年2月初頭に追加分として京成3150形をリースした7050形8両に代わり廃車になった。

京成グループの元京急旧1000形在籍は9年2ヵ月ではあった。







1972年以降にデビューした京成通勤形車両



京成3500形


京成3600形  
芝山鉄道3600形



京成3700形  
北総7300形  
北総7800形


京成3400形


京成新3000形、
北総7500形、
新京成N800形


1972年(昭和47年)以降は赤電に代わりに京成初のセミステンレスカー・冷房車の3500形を新製。当時の京成イメージカラーだったファイアーオレンジ帯を配した。この形式以降の京成通勤形車は全て冷房車となった。途中増備車でオールステンレス試作車もあった。性能は都営地下鉄浅草線乗り入れ規格で抵抗制御で赤電形式と同一だった。3500形以降の新形式の台車は住友金属製の1社発注となったが、主電動機の三菱製・東洋製の2社発注は2008年現在新鋭の新3000形まで続いている。

1982年以降は省エネを意識し、界磁チョッパ車3600形を導入し、当形式以降の新車は3400形を除き全てオールステンレス車とした。

1991年以降はVVVF車3700形を導入し、当形式は8両編成中心としたため、優等運用の主力車となった。3700形以降の通勤形車両はレッド・ブルー帯となり、ステンレス車体にファイアーオレンジ帯だった3500形・3600形でも1993年8月〜1996年3月にレッド・ブルー帯に変更した。

1993年には、特急車AE形の足回り界磁チョッパ制御等を流用し、大栄車輌にて3700形ベースに新製した3400形通勤車がデビュー。1972年以降にデビューした通勤形では唯一の鋼製車となった。

2003年以降はコスト軽減を考慮した新3000形を導入。VVVF素子も3700形のGTOからIGBTに変更。現在の京成車の主力車となった。
3700形と新3000形に関しては北総でも、同一設計の新車が生まれた。

京成のステンレスカーは4形式存在し、2008年現在、通勤形の8割以上がステンレス車となったほか、3700形以降で採用したVVVFインバーターも、京成全車両の約6割半を占めている。

3500形では1996年〜2001年までに過半数の車両で更新を行った。

京成ステンレス車の歴史も古く、新3000形がデビューした2003年より3500形未更新車の廃車が始まったほか、3600形・3700形の一部車両は北総鉄道・芝山鉄道にリースしている。






京成特急車(スカイライナー)

京成AE形

1993年引退、1995年消滅

京成AE100形

1970年代前半までは成田山参拝需要の指定特急'開運'を運用してきたが、国際空港の成田空港開港に伴い、京成は大手私鉄で初めて空港輸送を開始した。
それに伴い1972年にデビューしたのが都心と空港を速達で輸送する空港特急AE形だった。全て6両編成でデビューし京成初の界磁チョッパ制御車・冷房車となった。後継のAE100形でも言える事だが、台車は住友金属製、主電動機は東洋1社に各々発注したほか、TDカルダンで統一した。華やかなスタイルでデビューしたAE形だったが、空港開港が遅れ1973年末から上野〜成田間を結ぶ指定特急として営業運転開始した。その間は車庫で休んでる車両も多く、空港開港直前に過激派に車両放火される等涙目の日々が続いた。1978年5月21日に成田空港が開港したのに伴い京成成田空港駅も開業。以後、AE形は'スカイライナー'として本格営業運転開始した。
空港開港からしばらくは乗客も伸び悩み、赤字経営の日々を送っていたが、1980年代後半以降は乗客も増え、黒字に転じた。1984年以降、'スカイライナー‘と同車両を使用し、朝夕に普通乗車券に特急券を加え乗車可能で途中停車駅を増やしたモーニングライナー・イブニングライナーが誕生したのも乗車率向上の要因につながり、2008年現在も運用を続けている。
1983年秋〜1984年秋に塗装をブルー・レッド・ホワイトに変更し、今日の京成色の基礎を作った。

1990年夏に、翌1991年3月の成田空港ターミナル直下乗り入れや輸送客増強に備え8両編成のAE100形がデビュー。京成初の新製VVVFインバーターを採用した。AE形も既存車で2両中間電動車化、2両廃車とすることにより8両化を行い、本数は変えずに'スカイライナー‘全運用を8両化した。
翌1991年初夏以降はAE形代替としてAE100形を増備し、1993年夏にAE形は引退し足回りは通勤形3400形に流用した。

2010年には北総線を経由した成田高速鉄道(Bルート)開業に備え、山本寛斎氏がデザインした新形車両‘新AE形‘の導入が決定し、2009年5月に第1編成目が落成する予定。成田高速鉄道開業時までに新AE形は8両編成8本(計64両)新製する予定で、車齢20年経つAE100形の今後の動向が注目される。





北総車・千葉ニュータウン鉄道車(旧公団車)オリジナル車両

北総7000形

2007年消滅

千葉ニュータウン鉄道9000形
(旧 公団2000形

千葉ニュータウン鉄道9100形
C-Flyer
(旧 公団9100形

1979年3月9日、北総開発鉄道北初富〜小室間開業に備え7000形を6両編成3本新製。7000形はフランス鉄道車両をイメージし、鉄道車両初のカラーフイルム等を用いたセミステンレス車・界磁チョッパ車。室内吊革をなくし掴み棒を設置する等ユニークな発想でデビューした。開業当初より新京成北初富〜松戸間に乗り入れた。

1984年3月19日、北総開発鉄道の延長として開業した小室〜千葉ニュータウン中央間は住宅都市整備公団所属となり、公団車両としてセミステンレス車2000形6両編成2本新製した。こちらも足回りは北総7000形と共有し界磁チョッパとしたが、外観にイェローグリーン・オレンジのフイルムを配したカラフルなステンレス車でファンを喜ばせた。運用は北総・公団共共通運用となり、公団車も新京成に乗り入れた。業務は北総が委託した。

1991年3月19日、北総線京成高砂〜新鎌ケ谷間開業(新鎌ケ谷駅は北初富〜西白井間に新駅開業)京成線を経て都営浅草線や京急線へ4社直通運転を開始した。それに先立ち北総7000形・公団2000形は京成線・都営浅草線・京急線乗入対応工事を行い各編成に2両挿入し8両固定編成化した。なお、その際、新規導入した車両は京成3700形と同設計の7300形や京急旧1000形をリースした7150形等で個性的な車両は生まれなかった。
1992年7月12日をもって新京成線新鎌ケ谷駅開業に伴い乗入を廃止した。

1994年に乗入先の京急にも2000形が存在することから公団車は9000形と形式変更した。

1995年4月1日、公団線千葉ニュータウン中央〜印西牧の原間開業に伴い、新たな発想をもったオールステンレス車9100形、通称'C-Flayer' 8両編成2本新製。こち
らは、京成3700形等足回りは共有化しGTO素子VVVFインバーターとした。
外観は前面に丸みをおび、ブルー・イェローを基調とした個性的な車両で、車内においては通勤形初の公衆電話を設置したり、車端部にクロスシートを設置する等マスコミでも話題になった通勤形。
2000年7月22日の印西牧の原〜印旛日本医大開業時にも8両編成1本増備したが、こちらは一部クロスシートをロングシート化や公衆電話の廃止等、一般通勤車に近付けた(最初の2本も1998年に公衆電話は廃止した)。

2004年7月1日付で公団は京成100%出資の千葉ニュータウン鉄道が引継ぎ、公団車8両編成5本40両は京成グループの車両となった。
2006年2月、北総に京成新3000形と同設計の7500形が生まれ7000形は順次廃車に。2007年3月25日のさよなら運転を最後に名車の7000形は約28年の活躍に終止符を打った


★このサイトの特徴は・・・・

・ファイアーオレンジ塗装の京成赤電形式もこのサイトで多数見れます。

・更新前の3200形や3300形画像もここで見れます。

・赤電非冷房車もここで見れます。

・旧京急1000形の千葉急行1000形や北総7150形等の珍種もここで調査!

・カラフルな京成3200形試験塗装もここで見れます!

・京成青電グループとして赤電塗装に変更し最後まで活躍した2100形等もここで調査!

・京成や北総車両の台車・主電動機(モーター)、CP(空気圧縮機・コンプレッサー)、補助電源装置(MGやSIV)もここで調査!

・現役車両・引退車両の製造年(新造年)、更新・冷房改造(当サイトでは冷房化と呼ぶ)・塗装変更・廃車等履歴もここで調査!

・今はなき千葉急行の車両も、全形式ここで見れます




京成2100形 京成3000形(初代) 京成3050形 京成3100形 京成3150形 京成AE形 更新前や旧塗装時代の京成3200形 京成3300形 旧帯色時代の京成3500形 京成3600形 デビューから間もない頃の京成3700形 京成3400形 京急から約3年リースした京成1000形塗装変更前の新京成8000形やデビュー直後の新京成8900 北総7150形 北総7050形 北総7000形 公団2000形やデビュー間もない北総7300形 千葉急行1000形 千葉急行3050形 千葉急行3150形
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